2008年11月17日

軍艦島

軍艦島.jpgドライブしていて、最初に見かけたとき、
ウソか、見間違いかと思った。
ホントに軍艦みたいだもんな。







端島(軍艦島)
 長崎港の南西約19キロにある面積約6.3ヘクタールの小島。外観が軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」と呼ばれる。1890年に三菱が本格的な採炭を開始。最盛期の1960年には約5300人が暮らし、東京の約9倍の人口密度を誇った。74年の閉山後は無人島となり、2001年に所有者の三菱マテリアルが旧高島町(05年、長崎市に編入合併)に無償譲渡した。

軍艦島に脚光再び 「捨てられた島」世界遺産国内候補に 上陸解禁への整備進む
(2008年11月16日掲載)

 ●ソフト面の準備立ち遅れ
 かつて炭鉱の島として栄えた長崎市沖の端島(通称・軍艦島)。閉山から30年以上がたち、無人の廃虚と化した島が「九州・山口の近代化産業遺産群」の1つとして世界遺産国内候補入りし、脚光を浴びている。島を所有する長崎市は「新たな観光の目玉」として見学用遊歩道などを整備し、来春にも上陸を解禁する予定だが、島の歴史や暮らしを伝えるガイド養成などソフト面の準備は立ち遅れている。
 (長崎総局・一ノ宮史成)

 ■生活の営み残し
 「危ない!」。かつて高層アパートだった廃屋群の谷間に声が響いた。
 14日、報道陣を対象に行われた軍艦島の上陸公開。アパートの上層階同士をつなぐ高さ約15メートルの渡り廊下に足を踏み入れた数人の報道陣に、案内役の市世界遺産推進室の長瀬雅彦係長(44)が血相を変えて注意した。
 目を凝らすと、渡り廊下や支柱のコンクリートはあちこちではがれ、一部にはひびも。長瀬係長によると、鉄筋の腐食も進んでいるという。背筋が凍る思いと同時に、島から人がいなくなってからの歳月を実感した。
 島内には約100棟の建物があったが、現在は約半分しか残っていない。3時間ほど島内を歩いたが、路上に散乱する木材やコンクリート片に何度も足をとられた。
 廃屋の部屋に残る冷蔵庫や醤油(しょうゆ)の空き瓶、ベランダに転がる洗濯機、ブラウン管だけになったテレビ…。「見た目の迫力だけでなく、人々の営みを感じられるのも島の魅力」と長瀬係長はいう。

 ■元島民がけん引
 「まさに『捨てられた島』だったが、これで島を守れる」。世界遺産の国内候補入りに、同市の特定非営利活動法人(NPO法人)「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長(54)は顔をほころばせる。
 候補入りが決まった9月下旬には、会の事務所に旅行会社や個人から渡航方法などの問い合わせが殺到。会のホームページへのアクセス件数も、普段の約10倍の1日約2400件に上った。
 小6から高校まで島で過ごした坂本さんは1999年、中学校の同窓会で島を再訪したのをきっかけに島の保存活動を始めた。「島が産業廃棄物の処分場になる」などの噂(うわさ)に、いてもたってもいられなかったからだ。
 2003年には同会を設立し、周遊ツアーや写真集を発刊するなど活動を本格化。案内や調査で島に入った回数は100回近くに上る。活動は徐々に輪を広げ、ついに行政も動かすまでになった。

 ■「廃虚だけでは」
 長崎市は来年2月の完成を目指し、8月から上陸用桟橋や遊歩道約220メートルの整備に着手。既に約6割が完成した。ただ、島の南側にある遊歩道から見えるのは、1916年に完成した日本初の高層鉄筋アパートなどの外観だけ。その向こうに広がるアパート群や小中学校、病院など、より生活感が伝わる島の内奥へは立ち入れない。
 市は来島者の視野に映らない島の実像を伝えるため「島民の記憶などを基に暮らしぶりを紹介する必要がある」として、案内マニュアルの作成を進めているが、いまだ未完成。ガイドの養成はおろか、人材の確保や渡航方法の具体的検討すらほぼ手付かずのままだ。
 「廃虚を見せるだけでは何の価値もない。訪れる人を満足させられるガイドを育てるには時間がかかる。市はもっと焦るべきだ」と坂本さんは指摘する。
 元島民の故郷への思いから始まった世界遺産への道。受け継ぐ市は、重い責任も背負っている。


http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6153/



「軍艦島」の名で知られる、長崎市高島町の端島(はしま)が14日、報道機関に公開された。74年に島内の端島炭坑が閉山され、無人島となった同年4月から上陸は禁止されているが、市は観光拠点化のため今年6月から整備を開始。来春の一般公開を目指しており、桟橋や見学広場などの整備状況が披露された。

 端島は南北480メートル、東西160メートル。長崎港から南西約19キロの海上に浮かぶ。1890年に三菱が採炭を開始。1916年には日本初とされる鉄筋コンクリート高層アパートが建設され、最盛期には約5200人が生活する“海上都市”だった。軍艦島の異名は戦艦を連想させる島影から付いた。

 9月には端島炭坑が「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、文化庁の世界文化遺産登録の国内暫定リスト入りしている。【下原知広】

http://mainichi.jp/select/wadai/graph/20081115/?link_id=TT002


世界文化遺産の国内候補地に認められ、長崎市が観光資源として活用を目指している無人島の端島(はしま)(通称・軍艦島)が14日、報道陣に公開された。市が約1億500万円をかけて整備を進めている桟橋や見学用通路、1916年に完成した国内初の鉄筋高層アパートなどを市職員らが案内した。

 端島は、長崎港沖約19キロにあり、周囲1.2キロ。明治から昭和にかけ、石炭が採掘された。林立するアパート群と塀に囲まれた島影が軍艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになったという。60年には5267人がいたが、炭鉱の閉山に伴って74年に無人となった。

 報道陣は、島南部の護岸沿いで約200メートルにわたって整備が進められている見学用通路や、風雨にさらされ鉄骨がむきだしになった高層アパートなどを見て回った。

 現在、島には原則入れないが、来春以降、観光客が上陸できるようになる。

(2008年11月14日 読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081114-OYS1T00479.htm


軍艦島
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軍艦島(ぐんかんじま)は、日本の島の通称・俗称。

長崎県長崎市の島。正式島名は「端島」。→端島 (長崎県)
広島県大崎上島町の島。正式島名は「契島」。→契島
石川県珠洲市の島。正式島名は「見付島」。→見付島 (石川県)
佐賀県唐津市の島。正式島名は「神集島」。→神集島
サイパン島沖に位置する、マニャガハ島。日本統治時代にそう呼ばれていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E5%B3%B6


端島 (長崎県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
この項目では長崎県長崎市の端島について記述しています。山口県岩国市の端島については端島 (山口県)をご覧ください。

端島近影
古里港から見える端島端島(はしま)とは、長崎県長崎市(旧高島町)にある島。かつては炭鉱が存在し、その外観から軍艦島(ぐんかんじま)の通称で知られている。

目次 [非表示]
1 地理
2 歴史
2.1 行政区域の変遷
3 島内の集合住宅
4 現状
5 軍艦島を世界遺産に
6 公開
7 交通アクセス
8 端島を舞台とした作品など
8.1 写真集
8.2 DVD
8.3 ゲーム
9 長崎県端島出身の有名人
10 関連項目
11 登録商標
12 参考文献
13 外部リンク



[編集] 地理
長崎市中心部から南西約19キロメートル、旧高島町の中心である高島から南南西約4.5キロメートルの海上に位置する。明治以降、島の周囲の埋め立てが繰り返し実施されており、海岸線は直線に近い形状をしている。面積約6.3ヘクタール、海岸線全長約1,200メートル、東西の長さ約160メートル、南北の長さ約480メートル。 上空からの画像(Google Maps)


[編集] 歴史

曳航される戦艦土佐。この後、ワシントン海軍軍縮条約に伴い未完成のまま廃艦となり、実艦標的として海没処分19世紀に石炭の存在が確認された。明治時代初期には鍋島氏が経営。1890年から三菱財閥の所有となった。石炭採掘のため周囲を埋め立て、また大正期以降には鉄筋コンクリート造の集合住宅群が建設された。海上から見たそのシルエットが、1921年当時、三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから、軍艦島の通称で呼ばれてきた。

戦時中に「アメリカ潜水艦が本物の軍艦と勘違いして魚雷を撃ち込んだ」という噂があったが、実際は潜水艦ティランテ (USS Tirante, SS-420)が、停泊していた石炭運搬船白寿丸を狙って撃沈したものだった。1945年6月11日の出来事である。

良質な強粘炭が採れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年には約41万トンを出炭。最盛期を迎えた1960年には人口5,267人を数え、人口密度は東京特別区部の9倍以上に達した。これは当時としては世界一の人口密度である。炭鉱施設・住宅のほか、学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。

1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により漸次衰退。1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、無人島となった。この時期は、日本の高度経済成長の終焉と重なる。


[編集] 行政区域の変遷
1889年4月1日の町村制施行により西彼杵郡高浜村大字端島となった。1955年4月1日に高浜村が野母村・脇岬村・樺島村と合併して野母崎町(現・長崎市)となった際、端島は高浜村から分離し、高島町に編入された。2005年1月4日に高島町が長崎市に編入され、現在は長崎市高島町端島である。


[編集] 島内の集合住宅
端島に残る集合住宅は、保存運動で話題になった同潤会アパート以上の長い歴史を持っている。7階建の30号棟は1916年(大正5年)の建設で、国内でも最初期の鉄筋コンクリート造の高層アパートである。

30号棟を皮切りに、長屋を高層化したような日給社宅(大正7年)など、次々に高層アパートが建設された。第二次世界大戦前頃、国内では物資が不足し統制が行われ、鉄筋コンクリート造の建物は建設されなくなったが、この島では例外的に建設が続けられた。

典型的な高層アパートは中庭を中心に設け、周りを廊下が囲むプランで、地下に売店が設けられたものもあった。各棟をつなぐ複雑な廊下は通路としても使われ「雨でも傘を差さずに島内を歩ける」と言われたという。

どの建物にも人員用エレベーターは設置されておらず(1945年建設の65号棟に計画されたが、資金不足で結局設置されなかった。なお小中学校には、閉山までのごく短い期間、給食用エレベーターが設置された)、また個別の浴室設備(内風呂)を備えるのは鉱長社宅の5号棟(1950年)および幹部職員用アパートの3号棟(1959年)、職員用集会宿泊施設の7号棟(1953年)、そして島内唯一の旅館「清風荘」だけで、トイレも落下式のところが多かった。


[編集] 現状
近代化遺産として、また大正から昭和に至る集合住宅の遺構としても注目されている。廃墟ブームの一環でもしばしば話題に上る。現在は無人化により放棄され、維持管理が行われないため、いくつかの建物は既に崩落し、また倒壊の危険性を抱えている[1]。ただし外壁の崩壊箇所については、一部コンクリートで修復が行われている。

島は三菱マテリアルが所有していたが、2002年、高島町(当時)に無償譲渡され、現在は長崎市の所有である。観光面での活用について検討が行われているが、建物の老朽化、廃墟化のため危険な箇所も多く、保存・活用には多額の費用が必要である。


[編集] 軍艦島を世界遺産に
現在、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」(代表 坂本道徳)が、「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産として登録することを提案している。(この様子は2008年5月23日のテレビ朝日の番組スーパーモーニングでも詳しく紹介された)

鹿児島県知事(伊藤祐一郎)を始め長崎県知事(金子原二郎)ら6県11市の関係者らが世界遺産の国内暫定候補リストに追加する共同提案書を文化庁に提出している。2006年8月には経済産業省が端島を含めた明治期の産業施設を地域の観光資源としていかしてもらおうと世界遺産への登録を支援することを決定。

2008年9月26日、文化庁は軍艦島を含む「九州・山口の近代化産業遺産群」が世界遺産暫定リストに登録した。

短期間に飛躍的に進展した日本の近代工業化の原動力となった西洋技術の導入やその後の近代工業化の過程を明確に示す資産として、「顕著な普遍的価値を持つ可能性が高い」と評価された。 本登録に向けては、遺産の価値を証明する推薦書作成、日本政府によるユネスコへの推薦、現地調査を経て、 ユネスコ世界遺産委員会での審議となる。


[編集] 公開
島内への立ち入りは現在禁止されている。2005年8月23日、報道関係者限定で特別に上陸が許可され、荒廃が進む島内各所の様子が各メディアで紹介された。

長崎市は2008年に観光客が上陸できるようかつての桟橋を再び整備し、島南東部に約220メートルの見学通路を設けることなどを計画していたが(危険な建物周辺には立ち入れない)、整備工事の遅れから2008年4月から2009年春まで約1年ずれ込む見通しと2007年末に発表した。

しかし、島内に残る建物の老朽化が激しく、崩落の危険が高まっているため安全面の懸念が浮上。気象条件も厳しく上陸可能な日は年間160日以下に限られる見通しで、費用対効果の問題もあり09年度以降に見学通路をさらに島の東側に約300メートル、西側に190メートル延長する計画は断念の方向で検討を始めている。


[編集] 交通アクセス
住民がいた頃は野母商船が長崎港より、伊王島、高島を経由して端島に至る航路を運行していた。1970年の時点では1日12往復、長崎までの所要時間は50分であった。無人化により航路は廃止され現存しないが、やまさ海運により長崎港から、株式会社共同により野母港から島の周囲を巡る遊覧船が運航されている(詳細は下記の外部リンクの項目より各社の公式ウェブサイトを参照のこと)。

上陸を試みる無法者は多く、その場合は海上タクシーが利用されるが老朽化で危険なため現在島の上陸は禁止されている。一般開放へ向けた整備が進められれば直通航路が運行されると見られる。


[編集] 端島を舞台とした作品など
写真家、奈良原一高の作品『人間の土地』(1954-1959年発表)の舞台としても知られる。
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年)の廃鉱の島のモデルと思われる。
1980年公開の映画『純』(江藤潤主演)では主人公・純の出身地となっており、端島でのシーンもある。
映画「冒険者カミカゼ」(1981年) 千葉真一、秋吉久美子主演
1981年にTV-CMや新聞広告等で公共広告機構が端島を題材にした資源問題キャンペーン(「人影なし…私たちの資源」)を行い、反響を呼んだ。[1]
西木正明「端島の女」(『別冊文藝春秋』1985年第172号掲載、短編集『凍れる瞳』1988年文藝春秋刊に収録)の舞台。
映画「魚からダイオキシン!!」(1992年) 内田裕也主演
2000年放送のNHK制作連続ドラマ『深く潜れ八犬伝2001』の主な舞台ともなった。
2005年、週刊少年サンデー(小学館)に連載の漫画『D-LIVE!!』に凶悪犯のアジトとして登場。
テレ朝のバラエティ番組『いきなり!黄金伝説。』で芸能人が探検。
内田康夫『棄霊島』(2006年)の舞台。
恩田陸『puzzle-パズル-』(祥伝社文庫)のモデル。
手塚治虫『ブラックジャック』(秋田書店)のエピソード「望郷」の舞台となった「猫生島」。
映画「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」に登場する「戦艦島」はこの島をモデルにしており、その名前の由来等も酷似している。
アニメ「Sola」に出てくる最後の決闘シーンの舞台(貯炭場)

[編集] 写真集
「軍艦島-残された航跡」(菊地豊、1991年 創栄出版)ISBN 4795252971 c0027 白黒写真集で現在は絶版。著者 は宮城県内の高等学校の教員。当時初版限定2000部で発売されたが九州地区では出回らなかった。後年オークション等で一部が流通。自費出版。
「軍艦島 - 棄てられた島の風景」(雜賀雄二、1986年、新潮社)
「軍艦島 - 眠りのなかの覚醒」(雜賀雄二、2003年、淡交社)ISBN 447301987X
「NO MAN'S LAND 軍艦島」(小林伸一郎、2004年、講談社)ISBN 4063528057
「1972 青春 軍艦島」(大橋弘、2006年、新宿書房)ISBN 4880083569

[編集] DVD
「深く潜れ八犬伝2001」(2001年、徳間ジャパンコミュニケーションズ )ASIN: B00005LCPP
「廃墟賛歌 軍艦島 Forest of Ruins」(オープロジェクト、2004年、日活)ASIN: B0002MOLDS
「軍艦島1975 -模型の国-」(2007年、エースデュースエンタテインメント)ASIN: B000NOKE7C

[編集] ゲーム
「百鬼淫黙された廃墟」(2002年、エルフ) 長崎の沖合にある島であること、密集した高層アパートの建ち並ぶ廃坑の島であること、大手企業の所有であったこと、現在は無人島であること、島の造形描写等、この島をモデルとした設定の上にストーリーが展開される。
「SIREN2」(2006年、ソニー・コンピュータエンタテインメント)物語の舞台は、この島をモデルとした『夜見島』。

[編集] 長崎県端島出身の有名人
岡崎律子(歌手・作曲家)

[編集] 関連項目
建築史
日本の住宅
集合住宅
廃墟
炭鉱住宅
ゴーストタウン

[編集] 登録商標
軍艦島クルーズ=やまさ海運
軍艦島クルージング=株式会社共同

[編集] 参考文献
^ 朝日新聞 2005年7月1日付 朝刊、長崎地方面、P.31

[編集] 外部リンク
軍艦島オデッセイ - 端島の歴史、建築物、施設配置図、建物の個別データベース、軍艦島百景等。
やまさ海運 - 軍艦島クルーズ案内
株式会社共同 - 軍艦島クルージング
軍艦島を世界遺産にする会 - NPO軍艦島を世界遺産にする会
Towards a virtually accessible Gukanjima
軍艦島 Ver 3.0 - FLASHによる長崎県端島の紹介。
インダストリア - PN.神村小雪さん(軍艦島出身女性)のサイト。
7人の侍、長崎へ行く。(後編)
北海道の廃墟フォトサイト「廃墟マップ」
- 高島町-軍艦島
世界測地系: 32.6277° N 129.7385° E
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_(%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C)" より作成
カテゴリ: 長崎市 | 長崎県の島 | 日本の住宅の歴史 | 鉱山 | 長崎県の観光地 | ゴーストタウン | 無人島 | 近代化遺産


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_(%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C)


軍艦島ドットコム
http://www.gunkanjima.com/


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